立チ止マル、、、
いろんなふあんをかかえながら、
みんなあるいているんだね。
『あのひ』は、
もうもどってこない。
そんなことは、
わかっている。
もしあなたが、
てのとどかないばしょへいけば、
もっとらくにあるける。
くるしいおもい、
しなくてすむのに…
*
じょうずなたちふるまいなんて、
わたしにはむいてない。
ぶきようならばぶきようなりに、
ことばにしたためてつたえることが、
わたしのゆいいつのひょうげんならば、
そのほうほうであるく。
もどること、
すすむこと、
たちどまること…
たちどまったじかんのなかで、
ないとはけっしていわないけど、
えたものはすくないよ。
かんがえるべきときに、
みつめなおしたことには、
きっといみがあった…
と、
そうしんじたいだけ。
けれど、
むじょうにもときはながれる。
だから、
あるきながらかんがえてみようと、
ふたたびおもったんだ。
ここでただたちどまっていても、
こたえはきっとみえないから。
ちょっかんが、
あっていたのかまちがっていたのか
そのこたえはいずれわかる。
あやまっていたと、
そんなこたえがでることは、
そうていのはんいない。
1ねんまえも5ねんまえも10ねんまえも、
そして20ねんまえも…
みんなわたしをひとりにした。
でもそこから、
なんらかのべつのものがうまれてきたから、
いまのわたしがいる。
しんかのだんかいで、
だっぴのだんかいのいちぎしきだったのだなと、
なぜかきょうはそうおもえた。
おおきないっぽをふみだすには、
ゆうきもひつようだよ。
でもいちばんだいじなのは、
『けつい』をかためること。
そこからさきは、
せれもにーでしかない。
たどりつくまでのかていが、
けっきょくはたいせつなんだよね、
きっと。
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